現代津軽こぎん刺し作家
貴田洋子
  • こぎん刺し歴35年
  • 日本現代工芸美術協会 本会員
  • 日展入選8回 埼玉県展会員
 
[貴田洋子と作品]             愚昌庵
冒頭から唐突だが物故者の人物像は書きやすいが存命者は厄介である。物故者は何を書いても文句を言わないが存命者は「気に食わない」「いらぬお世話だ」とイチャモンをつける恐れがある。「エイヤー!」と思い切って書くしかない。
彼女が津軽こぎん刺しに精魂込めて取り組んできたのは以下3点に集約できよう。1)こぎんの美。白樺派の柳宗悦がいみじくも言った「津軽こぎん刺しに美しくないものは一つとしてない」からである。2)郷土愛。津軽が生み出したこぎん刺しの野良着に体温を感じる慈愛からである。3)津軽女へのオマージュ。こぎん刺し300年の歴史を継いできた無名の先人達への敬意からである。

彼女は、木々・路傍の草花・空・雲・月の色や質感、変化する光には、極めて鋭敏である。彼女は、腕時計を付けない。何故か?理由を聞いたことはないが愛用時計は日時計と理解している。また、配色については、一家言ある。「私は色っぽいのよ」と言いたいのか?高じて紺地に白の模様と決まっている伝統のこぎん刺しに色をつけてしまった。画団「野火」を創設した画家の後藤和に師事し以降、大作となる深みを増した。300年の伝統を正統とすれば彼女の色付けは異端であった。
しかし、色付けで表現力を広げ「用の美」から[芸の美」へシフトし見事なローカルアートとして構築された。津軽こぎん刺しは工芸で「染」の分類である。「染」の分類に彼女は、不本意であろう。いわば津軽農民の無名ブランドだった「刺し」が有名ブランドの「染」に吸収合併されるような無念を感じていたと思う。私の作品は「染」ではなく「津軽こぎん刺し」と関係者へ繰り返し願い出た。津軽人の矜持である。数年後、幾つかの美術館では「染」から「津軽こぎん刺し」表示に至った。全国で「津軽こぎん刺し」の分類表示は彼女たった一人である。この時点で’津軽のたった一人’は’佐渡のトキ’より希少動物となった。

作品は主に津軽の雄大で厚みのある自然風土をモチーフにした心象風景である。一時期、上代に迷い込むように古典を題材にしたと思われる作品を制作し続けたこともあった。彼女は作品説明をしたがらない。説明・コメントは作品の修飾語となり、見る者の視点、感性を邪魔すると。もちろん求められれば対応し、時には技法説明へと熱がはいることもある。見る者の感じ方は様々だ。和のアラベスク風。幾何学模様が錯視させるのかエッシャー(オランダの版画家)のだまし絵のよう。ソロー(アメリカの作家)の「森の生活」を色彩化したよう、等々。ここでは古典を髣髴させる作品を取り上げよう。私は作品「日月の飛翔」は「枕草子」を重ね見る。「春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは・・・」。曙から白んでいく光と色の移ろいから始まる有名な情感表現。古典に関心をもつ彼女は津軽の四季を清少納言と同じ目線で自然観察し平安の舞姫になりきり制作したのかも知れない。日の赤、光滲の白、八咫烏の黒、月の黄など自然の’移ろう色’と朝から晩へ’移ろう時’を一つの作品の中へ取り込む。移ろいはとどまることがなく何物ももたらさぬ刹那の連続。形もなく結実を見ないからこそ美的情動を感じ内面に取り込む。これは日本人の美意識の一つであろう。私は前回冊子で「彼女は時に万葉集を唇に乗せて・・・」と触れたが、万葉集には色彩は赤、季節は春秋を詠んだ歌が多い。作品「万葉・衣音の秋」は赤を基調とし、彼女がその時代のその場面を見ているかのように描写して創造したと思われる。ほか、色彩、配色から源氏物語を思わせる作品もある。古典から香である色を内面化し力強い色彩でありながら抒情的に心の景色を作品に投影している。これらの作品から私の視点は時代を遡行し視野は拡張する。色彩は過去を幻視させ幾何学模様に軽いめまいを起こし今という時刻を失う。作品の現実と上代に隔たりはなく自由に舞・飛翔し現在と過去が交錯する。作品は直感的世界へいざなう魔法を持っている。

津軽女であり日本人であることのアイデンティティを保ってきた彼女。その対極に位置する根無し草の私は彼女の人柄、言葉、作品から日本人としての心の使い方を気づかされる。「先人への敬意」「周囲への感謝」「謙虚の美徳」「惻隠の情」など。むかし、むかし私は母から謙譲の美徳の話をよく聞かされた。私の心の奥底で止まっていた時計の針が動き始める。貴田洋子と作品にあらためて日本人の原風景と美意識をみるのである。